清い川には魚は棲まない。または清い魚は、綺麗な川以外は棲みにくい

小松様にせよ龍馬にせよ、理想が高邁ではあるけど、純粋な方ってのは、乱世や時代の転換期には生きにくいのだろうか?そう思わされる回でした。

単純に血を見ずに国家形成を、古き世の良さを持ちつつ新しき世を、ってところでしょうが、底辺に近い処遇で生きてきた西郷大久保には、その理想が甘ちゃんにしか見えないんでしょうね。小松様は家老でボンボンだし、龍馬は権力に興味ないから新しい世でも自由にしたいだけだし。

西郷大久保は違うんですよね。根っからの革命家。思うような国作り(先代島津候の想像した世)と自分の思う国作りがしたい。

そこで、やはり下級公家で現段階権力を持たざる者・岩倉の登場。都合良く幕府を潰したい。願わくば次の世を牛耳るまではいかないまでも、今の境遇より自分の意見を通し、国家を形成したい。何せ腕をふるいたい能力者の時代の要求なんでしょう。

勝てば官軍。考えることは権力の保持。理由は後でつけてしまう。恐ろしい考えです。維新ではなく革命思想です(維新とは、血を流さない・平和的な解決方法。革命は武力による、血を見る・前権力者をたたきつぶす者である)

明治維新とは、前権力者(徳川家・慶喜公)が大政を奉還し、殺害されることなく政治移行ができたため、「維新」といっているのであって、実際は革命といってもいいと思います。とはいえ、世界的に見てここまですんなりいった革命も珍しいし、その後の混乱も少ないことから、維新というのでしょう。

司馬遼太郎の本で書いてあったんですが、こういった時代の転換期には、まずは熱烈な思想の持ち主が現れ、弾圧されます(吉田松陰・橋本左内など)

その後、その思想を実行しようとする行動的な輩が現れます(高杉晋作や坂本龍馬など)この手の人物は非業の死や戦死が多いそうです。

そして先達の築いた(壊した)ものを、新しく作っていく権力家志向になるもの(伊藤博文・山県有朋など)が構成していきます。

西郷・大久保は実行し新しく構築するものだったんですが、どちらも非業の死を遂げます。高すぎタイプに近いかもしれません。まぁ、高杉は新しい世は生きにくいでしょうが。

そういう意味では、小松様も竜馬も後の世に生きなくて良かったのかもしれません。彼らは綺麗過ぎるのかもかもしれません。清い魚は汚い川には棲めないし、清すぎる川には他の魚が棲めない。このふたりの共通項な気がします。

働き場と果たすべき使命、それらを果たすと人はこの世から退場していくのかもしれません。そういう意味では、西郷・大久保も同様な気がする。そういう風に思わされる回でした。

そうそう、大奥も一枚岩になってきましたね。しかし、本寿院サマよりも、宮様のほうがしっかりしてきたって、どー言うことや!

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